都会のサナトリウム

小さい生活を大切にいきているひとたちがいる

そういう当たり前のことをできないひとたちもいる

不特定多数の誰かに認められることなど必要ないといいながら、SNSに依存しているのは私自身で、常に誰かからの承認を欲してる

人間が飽和している東京の端っこで生まれて、気づいたときには生活の真ん中に都心部があって、気持ち悪いこともたくさん見てきたような気がする

どんな環境に生まれても、自分の生まれた場所に文句がひとつも無い人なんてきっといない

いまを真剣に生きてるから、自殺するひとがいる

どんなに広い世界を見たって、結局その世界を認識して思考しているのは本人の脳みそだけなんだよ

それで知った気になってるのはおかしい

だからわたしは、なんでも知ってるしなんにも知らない

うんざりですよ

小田急線の新宿行き各駅停車に揺られて、登戸を越えたあたりの多摩川をみて感傷的になって。京王線だったり中央線だったり地下鉄だったりディテールは多少違くとも、何年も前から同じ自傷行為をやめられない。何回同じ痛みを繰り返して自己嫌悪と甘い後悔に浸れば満足して懲りるんでしょうか

自分がかわいそうなことって気持ちいいから簡単にやめられない。自分で自分のことかわいそうかわいそうよしよしってしてあげるのがいちばん効率よくて気持ちいいもの。自分以外は信用できない

ひとつひとつの言葉に傷ついて、その場では傷ついてないふりして笑って、あとからあの時わたし可哀想だったなあ、って。これほど気持ちいいことないからね

こんな気持ち悪いことしなくても気持ちよくなる才能が欲しかった

 

久しぶりに人を好きになってしまいそうで恐かった。誰かと契約を結ぶことや、特別な感情をひとりの人間に向けることほどおそろしいことはないのに。この世界を生きてりゃ男と女がいて、人を好きになることから絶対に逃れられない。少なくともわたしのような凡人には逃れられない

だったらなるべく誰にも会わずに特別な感情を抱かないように他人を避けていればいいのに、それができないから甘ったれている。ずっと誰かに愛されたくて愛されたくて愛されたくて、きっといつかわたしのことをわたしよりもまるごと愛してくれる人が現れるって期待してる。信じてる。絶対にあの人にもあの人にもあの人にも無理なのに。誰もわたしよりわたしのこと好きになれない。わたしの自己愛に勝てる人間がいるわけない

だから男の前で何も考えてないふりしてたらほんとうに自分が何も考えてないバカな女だって思い知らされてる気がしてどんどんどんどん自分のこと嫌になる。自分を嫌いになりすぎないように対等に関わろうと思った時には、相手のプライドを傷つけるような言葉を選び出して綺麗にみぞおちを殴ってしまうので、すぐに捨てられます

男は適当にたてておけばどうにかなるけど、女の子は総じて勘が鋭いから怖くて深く関われない。笑顔の裏の裏の裏で何を考えてるかわからないもん、わたしみたいに

 

人間の顔色うかがいながら生きるのはもううんざりですよ

好きなものが無い

本読んでても映画みても音楽聴いてもなんにも面白くない。

 

気分が落ち込みすぎて全部やめたい何もできないって考えながらトイレに行くのが精いっぱいで1日中ベッドの上にいた。

 

極度の飽き性なので物事が続かない。食事睡眠という生きるのに必要なこと以外で、1年半以上なにかを継続できた試しがない。好きなことがわからない。何かを楽しいと思い続けられない。

休みの日に何してますか、趣味は、とか聞かれても、心から楽しいことが無いし、どんなに躁状態に陥ってても楽しい気持ちを「恥ずかしいこと」と思ってるから、どんどんどんどん鬱になる。

 

退院して3週間も経ってないのにもう精神が崩れた。

 

このままではまともに生きていけない。老後2000万必要だっていうのに。

就職する気も無ければ結婚できるような器量も持ち合わせてないしベッドから一歩も起き上がれなくなるときが半年に1回くらいはやってくるみたいだし、やっぱり障がい者手帳は更新したほうがいいかなー。

せっかく病気手放そうと思えたのになー。医者の言う寛解状態とかあてにならねーな。努力してても脳みその病気は治らないらしい。無刺激の場所で生きていない限りは、外の世界に一歩出たら脆弱すぎるわたしはすぐ壊れる。みんなつよすぎる

 

フジテレビのザノンフィクションで特集されてた整形オーディションに出てた人たち、綺麗になりたいという意志がつよくてキラキラしててかっこよかった。

わたし、自分のこと嫌いすぎて「嫌い」ということすら認めたくなかったけど今は素直になったから嫌いって言えるよ。

 

自分で自分のこと愛せない。常に他者に依存してないと生きられない。

 

人間が気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

自分も気持ち悪けりゃ他人も気持ち悪い。

 

誰のことも愛せない。

生きてる価値無い。

 

生産性が無いから(笑)

 

今こんなふうになってる原因は、生きてる理由がわからないからで。

生きてる理由なんて誰にも無いんだから自分で見つけるしかないというのも入院期間にわかったはずだったのに。

結局誰かに依存したいという気持ちが抑えられないらしい。楽だからね

 

誰にも依存したくない。

離れるときが大変すぎる。

 

もう心を許せない気がする。気張ってまで他人との関係を維持していくのいやだ。

 

しんどい

入院生活はとびっきりの贅沢

毎日、自分と向きあえること。

「ぼうっとする」が得意になったこと。

好きな本を好きなだけ読めること。

 

今ひしひしとこの3週間ほどのありがたみを感じてる。

 

入院ならではの嫌なこともあったけど、「自分が変われば相手も変わる」を全力で体感できたし、拒絶をつづけることの愚鈍さを知った。

それから、焦らなくていいんだってちゃんと思えるようになった。

自分のペースで生きていきましょう。

 

大好きなひとに大好きって素直に言えないのは、何かうしろめたさがあるから。

 

にんげんは、比べて背伸びして、まちがえてしまうばっかりの生き物よ!

 

のんびり生きていこうよ〜

ねえ、あなたに言ってるのよ

 

夜、眠れないとき、もういちどあの腕のなかにすっぽり埋まって眠りたい、ばかり考えてるから根本的な愚かさは変わっていません。だから安心して蔑んでね。

 

は〜。大好き。どうがんばって考えてみても、大好き。ブログ見てるといいなあ。誰かのいいねで届いたらいいなあ

 

「思春期の問題ね」

ってお医者に笑われちゃったのよ、20もとうに超えて(笑)

 

 

 

富士山いっしょにのぼりたい、高尾山でもいいけれど。

何をして生きていけばいいんでしょうか

“ワクワク”・“ドキドキ”・“ウキウキ”みたいな感情が完全に欠落しているから「好きなことして生きていく」ができない。“好きなこと”、“やりたいこと”がひとつも無いから。

「やりたくないことはやらない(就職活動やアルバイトなど)」は気兼ねなく自由なきもちでできるし、なんの罪悪感も無いのに。

 

物心ついたときから好きなものを訊かれても、うまく答えられなかった。

「女の子はピンクが好きだからピンク」

「周りの子たちがかわいいって言ってるからこれはかわいい」

とかそういう判断を瞬時にくだして、どうにかその場を子どもらしくやり過ごしてきたなっていう感覚。

 

好きなこと・やりたいことも同じで

「お母さんが習わせたがってるからピアノをやる」

「わたしがやるよりこの子がやったほうが絶対に良い(わたしは人前に出るべきじゃない)」

みたいな、周りの圧力というか、そういうもののなかで生きてきた。

 

ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、つらい。

今も、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと

 

ひとつのことを続けられないから根性なしだと思われるのが嫌だ。行動がそうだから仕方ないんだけど。わたしだって好きなことがあったら続けてみたいよ。だから今おんがくやろうとしてるけど何もわからないしすぐやめたくなる。つらくなる。わからなくなる。わからないわからないわからない

 

18歳でフリーターになって古着屋で働き始めた時、接客が得意で古着も大好きで、人生で初めて「ああこれが、天職かもしれない」って思った。なのに心と身体のバランスが取れなくなって、接客中になぜか涙がとまらなくなったりして、店長に裏で休ませてもらったりしてた。

そこから心療内科に通い始めて結局その仕事も1年で終わりにして適当な理由をつけて今の大学に入った。大学入学後にアルバイトし始めた別の古着屋も当日欠勤しまくりで、泣きながら電話かけたり自殺未遂をして突然シフト3〜4か月分つぶしたり、散々でしたね。ごめんなさい。すごくいい職場だった。わたしはどこにも適応できないのかな。そんなの嫌だな。

 

もう、なにもできない。生きていくのが恐い。平凡でいい。歌うのは好きなのかもしれないけど、恐い。もしかしたら、やりたくないことかもしれない。そんなの、どうしたらいいのかな

「歌うの楽しい」「音楽が好き」って言えるひとが、心から羨ましい

 

わたしはこのまま何が好きかわからないまま、一生苦しむんでしょうか。生きたい、生きたい、生きたいのに。

 

きもちいいこと・たのしいことが三大欲求以外にわからない。

大好きなひとがいたら、そのひととずっと一緒にいて、曲もつくらないで、あそんで寝てご飯食べてエッチばかりしていたい。

それがいい。最高にいい

不特定多数の承認など要らない。ひとりにちゃんと愛されたい、わたしも誰かを愛してみたい。書きながら涙がとまらない

 

恋人ができて、すごく幸せになると、自らいつもいつもいつもいつも壊してしまう。どうしてだかわからない。不安なの、不安なんです

幸せに、平穏に、生きたいだけなのに

ずーっとそれを望んでるのになんでだろう

 

気づいたら、猫に、布団におしっこされてて、最悪の夜です

 

最近はもう2〜3か月間隔とかですぐに別れてしまうから苦しくて「もう恋人をつくらない・つくりたくない」ときめたけど、すぐ人を好きになっ(たような気がし)てしまうクセがあるから、新しい恋人ができたらきっと音楽なんてSNSなんてやめてしまう気がする。音楽をやめたら、次はなにをやるんだろう。

古着もなくなって、音楽もなくなって、なんにもないね。あーあ

 

苦しいや

 

車椅子を押してもらいながら西荻窪をデートしたときが、一ばん、人生で一ばん、つらかったけど、幸せだった。もういちどあの夕方に戻りたい。もうあの時みたいに泣いたりおこったりしないから、きっと。ね。伝わらないでしょう

 

もう、哀しくてもあんまり大きな声を出さなくなったんだよ

人は変わるんだよ、わたしはみて欲しかった

 

どうしよう、とりとめのない言葉が溢れてとまらないよ。みんな、みんな、みんなのこと好きだったともはちゃんと、ね。わかる?わからないでしょう。決めつけちゃだめだよね。苦しいや

常に悪いことをしてるみたいな気持ちでずっと生きてる

またひとつ歳をとりました。実感はないし、嬉しくもないし、めでたくもないけど「おめでとう」は素直に受け取るのでたくさん言ってね

 

子どもの頃から“自由時間”がものすごく苦手だった。“自由”を与えられても何をしたらいいかわからないし、決められた枠組みのなかで決められた動きをすることのラクさに気づいていたから自主的に何かをすることが億劫だった

今もその名残りで、わたしが“自由”に選びとったものへの他者からの意見がものすごくおそろしいです

 

自由とは : 他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること

 

ずっと自由にあこがれ続けてそのように振る舞っているのに、ずっと苦しい

ほんもののわたしはどれですか

 

人間の生き方にほんものもにせものもないって言ってね

 

今年もきっと少しずつ変わる

来年のわたしはまた少し成長してる

成長しても変わらないことだってある

 

全部みとめて愛して愛されたいだけなんだよ

軽蔑しています

あなたを、

ごめんなさい

 

新しい年、新しい月、新しい日、新しい元号、新しい服、だから新しいワタシ

そんなものになれるわけがないでしょう

 

人になるべく嫌われないように、上手に世渡りしている人間ばかりで誰を信用したらいいかわからない。みんな怖い

わたしは莫迦正直で浮気者で世渡り術のひとつも知らないムスメなんですけど、尊敬していない人間を前にヘコヘコできるほど自分のことを愚かではないと思っています。そんな若い頃の自分を愚かだったとか思う日がくるんだろうか

 

おなかがずっと痛くて、声もうまく出せなくて、体調悪くて仕方なくて、このあいだセックスした時に血がでたので、そろそろ身体が末期でしょうか。平成といっしょに世界も終わればいい、なんてクソメンヘラみたいなこと絶対に言わない

おまえにわたしのなにがわかる

愛のつぎには、憎しみばかりです。憎しみのつぎには、また愛

 

平成のつぎは、