わたしは腫れものではない。

 

嘘をつかれるのが嫌い。時間が経って、守れなかった約束が結果的に嘘になることも嫌い

たとえば「起きて待ってるよ」と言ったのに、お風呂からあがったら寝ていた時。眠いなら最初から「寝ちゃうかも」とか言えばいいのに。それを言ったからってべつに怒らないのに

 

わたしは腫れものではない。

 

怯えられるのが嫌い。だけど怯えた表情をみるのが好き。自己嫌悪で吐きそうになる

自分が気を遣わせてしまっているのが原因だとわかっていても、どうしてもまた怯えた表情を見たくなってしまう

 

腫れもののように扱われる日々は生き地獄なのにね

 

頭のなかでは冷静に物事を判断できるのに、おもてに出てくる行動はそれとはまったく別もので、ほんもののわたしはいつも伝わらないまま

 

どいつもこいつも、なんもわかってねーんだ

路上やっているときや初対面の人に訊かれがちな野暮な質問に答えます

野暮な質問1『バンドでメジャーデビューめざしてるの?』

アンサーは「あなたに知ったこっちゃない」です。感情が、思考が、社会になじめなくて、言葉にするにも限界があって、どうしようもなくなって、どこかに嘔き出し口を求めた時に在ったのが今のバンドメンバーと自分の歌だっただけ。それはとても大事なもの。どうなろうとかどうしたいとかじゃなくてひたすら“今”をやり続けるだけだし、「今」、「バンド」が、「やりたくなったから」やってるだけ。

わたしは音楽がとくべつ好きなわけじゃない。おんがくのことよくわからない。ギターも歌もむずかしいし、たくさん人と関わらないといけないから疲れるし、人に見られるのがこわいし。でも自分を表現できる場がライブしかなくて、バンドは楽しいこともむかつくことも全てがごちゃまぜで精神衛生上悪くて滅茶苦茶なんだけど、“今この感情をどうにかしないと死んでしまう”っていうほとんど強迫観念だけによって、現在のバンドはやっています。

「メジャーデビューめざしてます!」とか声高らかに言ってるバンドマンはメジャーデビューのために、有名になるために、音楽をやってるのかな。おんがくの動機は“メジャーデビュー”なのかな。

おとなのせかいはわかりませんが、自分の中から湧き出てくる「やりたい」ことや「嫌だ」という感情を捨てて(抑えて?)“責任感”に追われてまで有名になりたいなんて、全く思っていません。そういうのはわたしにはできない。

ただ「責任」という言葉に呪われ続け、責任感は育たないまんま、20歳をとうに超えてしまった。一緒にいてくれてる人たちはわたしに「責任」を求めないでほしい。自分勝手なわたしを選んだのはあなたです。そこにあなたが責任持てないならば、仲良く責任放棄しようよ。

少なくとも今のともは何にも責任を持てない。自分のことも、周りのことも、たとえば子どもを産んだとしてその命にも。だからなるべくいざという時に迷惑をかけそうな人は、ともが平気なうち、今のうちにたくさん迷惑かけられていたい。前払い制ということで。

わたしの現在(いま)が未来に繋がるのならそれはまちがいなく幸せなことだけど、今日も明日もたしかじゃないのに未来に希望を持つことなんて傲慢すぎて今のともかにはとてもできないです。ただ今日を生きているだけだから、明日になれば、どこか遠くへ逃げるかもしれないよ。

これ、わたしのいのち、あなたに知ったこっちゃない。

責任感が無い、と散々叱られてきた人生でした。年齢的にもうおとな、だから自分に課せられた「責任」を全うできなくては、社会不適合者、ダメ人間。その認識に誤りは無いです。だけど、わたしが自分の責任感の無さによってどこまで堕落しようとも、あなたには一切関係がない、別の人生だし、極限状態に陥ったとき、あなたはわたしを助けてくれないし、わたしもあなたを助けてあげられないでしょう。別の人生を生きているという前提のもと、わたしのことを気にかけて愛してくれ。

「ジョーシキ」に惑わされてる“おとなもどき”ばっかりで、そういう人間がこの狂った世界を支えてる。ごめんね。ありがとうね

 

 

野暮な質問2『彼氏いるの?』

いるよ。同棲してる

 

 

野暮な質問3『歌ヘタじゃない?』

巧(うま)くはないことを認識しています。そしてそれは音楽をやる上で向上させるべき技術ではあると思います。

だけどひとつだけ、わたしには“聴きよい歌”をうたおうという気持ちが一切ないです。

誰かのどうしようもない感情がともかのどうしようもなかった感情と重なって、悲しくなったり嬉しくなったりしてくれればいいなと思ってうたっているので、“聴きよい歌”はわたしがのぞむところではない。聴きたくないなら聴かれなくても全然かまわない。もし聴きたくないのに耳に入ってしまうということがあれば、どうぞミュートなりブロックなり低評価なりしてください。それもわたしの一部になる。

それからわたしは自分のうたごころには自信があります。技術、という意味のうたごころではなくて歌をうたう心持ち、感情、のうたごころね。

だからライブに来たらいいと思う、1回くらいさ。こんなにどうしよもない人がいるんだなという優越感に浸るでもいいからさ。

 

 

 

今後も野暮な質問あればすぐ文章にする。内省にもなる。

自分のきもちが「人に見られたい」---その中には必ず「こわい」気持ちが共存しているが---に傾いているうちは、たくさん見られることをやっていよう。

ないしょの手書き日記は、数年前に流行った5年間分を見返せるダイアリーがおもしろそうなのでビレバンで買ってこそこそ書こうと思ってる

歪んだ自己愛の直し方

 

ある程度みんな自分のことを愛して生きているのが当たり前。健康な愛し方をできない人は、全く自信がないような素振りをするのに本当は弱い自分のことが何よりも可愛くて大切で、それが他人にバレてしまうのが恐ろしい。そして自分が嫌いな自分を他人に褒められることが耐えられない苦痛もしくは快楽で、思わず否定してしまう。それとは反対に、傲慢な態度をとったり他人からの承認を得るために注目される派手な行動を取る、虚言、なども分かりやすく歪んだ自己愛である。し、わたしは完全に後者だよ〜〜

 

こう、論理的に分析してしまう癖をやめたい。メタ認知しすぎてしまうのもやめたい。

「この人は家庭環境が〜」「こういう経験をしたから〜」「今わたしはこう考えていて〜」みたいな そういう冷静さで全て終着させようとする癖がついちゃった。

「はい、あなたは過去のトラウマのせいでなんかあるっぽい、さぁ精神科へ!」みたいな。

そんでわたしの周りの人なんかあるっぽい人多い。人格障害発達障害精神疾患ありそうだよな〜うんあるある、みたいな人とばかり仲良くなる傾向にある。そういう人のほうが人間、本能、面白い。もちろん違う人もいますけど

 

なんか、精神科の病気って統合失調症以外は大体その人の思い込み次第でどうにでもなるというか、ハラスメント的なノリで「わたしADHD!」って思ったらそうだし、「うつかもしれない。。」で多分うつの診断くれるし、クソほど曖昧だよね。まず人格障害は病気じゃねえから、特質、才能

 

歪んじゃった自己愛とか治んないし、あなたもわたしもナルシストだし、もっと自分に自信持って、好きなことを好きと言って生きよー つらいことばっかだねー 生きるのは。だけど、楽しいこともあるし「あ、わたし今普通だ 笑ってる 」って思う時だって、あるよねー。

だから、頑張ろうねー。おやすみ

からっぽな女の子は「夏の夜の匂いがする」と言って彼氏の腕に絡みつきました

 

 

 

お風呂に大きな蚊、ガガンボ、ってうちの親以外も言うのかな?がとまっていて気持ち悪くてシャワーを浴びれないでいる。

去年の今頃にわたしは浮気をして当時付き合っていた彼氏と別れたと思うんですが、その彼氏っていうのはわたしの首を絞めたり殴ったり髪の毛引っ張って床引きずったりする彼氏でした。と言うと、彼が完全に悪いみたいになってしまうので、わたしも彼に包丁を向けたり警察呼ばれるほど叫んでみたり皿を何枚も割って窓から飛び降りてみたり、していたのでした。

6月頃から新しく付き合った彼氏のことすごく好きでした。どんくらい好きだったかっていうと、もう2階の窓から飛び降りてこいつにめちゃくちゃ心配をかけてやろうなんて思わないくらいには好きでした。リストカットも3週間に1回くらいしかしなかったし、1週間に1回くらいしか叫んで泣いたりしませんでした。それなのに彼はいなくなってしまいました。

全部わたしが悪いのです。

わかります。

わたしが「前より良くなった」と言っても“前のわたし”を経験していないひとに分かるはずがないのです。

こんな文章を書いても、例えば今読んでくれているあなたも、あなたがのまゆうとくんかわたなべこうきくんでないのなら、わたしの異常さなど到底理解できません。

わたしは普通です。

普通に他人に気を遣って、笑って、生きています。まじめに大学にも通っています。LINEでお母さんにピアスを開けた報告もします。自分の思ったことをなるべく伝えられるように気をつけながら生きています。相手がわたしのことを好きか嫌いかを一生懸命見定めながら生きています。

どうしてお前にわたしのことを「メンヘラ」などと言って蔑む権利があるのだろうか。

もうすぐクチナシの花が咲きます。すごくいい匂いがするのだけど、あの花の周りには虫がたかります。花びらにさわりたくて、匂いを嗅ぎたくても、虫が邪魔でさわれない。

ギターが弾けない。ピアノが弾けない。

ああ毎日年をとって毎日わたしはひとつずつひとつずつ死んでいく。毎年枯れていいから、毎年毎年新しい細胞がつくられてくれればいいのに。

セックスなんて本当にどうでもよくて、ただ抱きしめてほしいだけだって思ってるんだけど、結局おまけみたいにセックスしちゃう。死んでしまえ

桜の花から毛虫が落ちてきて気持ち悪かった。わたし花や木にさわれない。さわりたいのにさわれない。気持ち悪くってだめなの。もうだめなの

からっぽな女の子はね、流行っているものより少し違うものを好きって言うことで自分の存在感を試そうとするくせに、結局大きく外れるのは怖くて保険をかけて生きていくんだよ。ああこわい。

「わからない」という言葉でわたしを殺してくれ。何度も何度も殺された。お前に殺された。「わからない」ことは暴力なのに、某超歌手様は、「わかろうとすることが暴力」だと本に書いていた(試し読みした)。たしかにわかられたくない奴にわかられようとすることは暴力かもしれない。だけどお前にはわかってもらいたいのにお前まで「わからない」と言うのかよ。じゃあ誰がわたしをわかるの。わたしだけ。わたしだけです。孤独孤独

「良い」「悪い」とか決められたくない。なんだってだれだって良い面も悪い面も持ち合わせてるんだからどっちかで判断しようとしないで。お花は置かれた場所で咲きます。

 

 

 

精神疾患を隠して日々生活する派の人、本当に偉い、わたしはカミングアウトする派

auユーザー三太郎の日だからミスドに行かなくちゃ、と考え始めて5時間が経過した。家から一番近いミスドは多分池袋…。服を着て外に出るほどの気力はないけど頭の中では色んなことが収拾つかなくなっちゃってるので、今日はベッドの上でカミングアウトしますよ!よっこらせ

 

もう1年通っている精神科、ずっとハッキリとした病名を告げられないまま薬だけ飲まされていたんだけど、こないだ炭酸リチウム錠を処方された時にこれってなんの薬ですかと強めに聞いたら、やっと双極性障害Ⅱ型と境界性人格障害(傾向)があると診断された。傾向、ってなによ曖昧でムカつくよね。

ADHDと言われた時もあんまりしっくりこなかったけど(結局心理検査でADHDは誤診だったし)、今も正直よく分かってない。わたしのどのへんが病気なのだろうか。精神疾患の人と健常者の境目ってどこなのだろうか、、

 

大学の学科長がたしか東大の心理学部卒業とかなんだけど、その先生と面談した時に わたしって何か病気なのかなって相談をしたら、川口さんは明るいし落ち着いて話もできるしそんなことないわよ!って言われた。

でも今までお付き合いしていた方々からは、お前は病気だ 頭がおかしいから精神病棟に入院しろ 人生めちゃくちゃにされた 消えてくれ、、と散々言われたし。

みんなわたしに対する評価を一定にしてほしい… 混乱するから…

 

未来のことを考え始めると、一生薬飲まなきゃいけないのかな とか、子どもを育てることなんてできるのかな とか、また嫌われてしまうんじゃないかな とか、キリがなくて、不安を吐き出さずにはいられない。

だから、本当は何か抱えてるのに表に出さないでいられる人ってすごいなあって純粋に思うよ。承認欲求をどこで満たしているの???

 

 

 

とも、病気!

だからみんな優しくして!

優しくしてくれる人大好きだよ、わーい!

 

ってスタンスで生きることを認めてほしい、ともちゃんは。

というか、自分を隠さないで生きるようにしていたら そろそろこれが成り立ってきているのがすごい。この環境に身を置きつつ、ゆっくり治していきたいね… もう21歳も4ヶ月を過ぎる、、人並みでなくていいから、今より少し社会に適応する能力を身につけよう〜〜

 

 

 

今日は三太郎の日だけど、池袋まで行く元気はないので恋人が帰ってくるのを夜ご飯作って待つ日です、それだけできればオッケー

みんなもっとともに優しくしてね♡

過去のツイート全部消したからできればツイッターをポジティブで埋め尽くしたいけどとりあえず学歴コンプレックスの話する

「あなたは頭が良いのに勿体無い」

 

大学受験を諦めて、散々周囲から言われたセリフ。久しぶりに今日祖母から投げつけられた。

私が頭良かったのは中学生までだよおばあちゃん。

祖母の姉の孫たちはみんな優秀で地元の進学校に入り成績はトップ、スポーツもできる、こぞって偏差値の高い大学を目指しているらしい。この話をされたのは今日で3回目。

高校に入るまではわたしもそこそこ勉強ができる方だったから、祖父母や両親からはそこそこ良い大学を目指すことを期待されていた。かといって特に教育熱心な家庭というわけでもなく塾に初めて通ったのも中学2年生の終わりで、たまに平均点くらいの点数を取っても強く叱られることはなかった。その分、親にとって私が小学校や中学校のテストで良い点数を取ってくることは当たり前だったから、特に褒められることもなかった。

家族はみんな、私の“頭が良い”と思い込んでいた。幼い頃から褒め言葉は常に「あなたは本当に頭が良いね」。努力について褒められたことなんて一度も無い。大人たちから見て、私の努力は褒められるほどの努力ではなかったのかもしれないけど。

だから私自身、つい最近まで本気で自分は頭が良いんだと思っていた。勉強しなくてもいつか本気出せば絶対に出来ると信じてた。

 

バカにもほどがある。

 

彼氏に浮気されて大学受験やめる女の頭が良いわけがないだろう。どうして20歳になるまで気づかなかったんだろうか。

幼い頃から自分は頭が良いと思い込んでいたおかげで、私の思考回路は完全に人を馬鹿にするようにつくられてしまった。めちゃくちゃ愚か。

 

そんな愚かな自分に気づき始めたのがフリーター時代。学歴が低くても仕事ができて発想力が豊かで素敵な人がいることを職場で学んでから、だんだん他人を馬鹿にする思考が無くなり始めた。それでも私はお前らと違う、と心の片隅で思っていたんだけどね。どこまでも愚か。

みんなのペースに合わせてそこそこの大学を受験しなかったことも後悔した。

だけど今は、高校生の時の人を小馬鹿にした感覚のまま大学生にならなくてよかったなと心から思ってる。

 

受験勉強をしないで受かったのが今の大学で、正直昔の自分が見たら心の底から落ち込んで蔑むだろうなっていう今なんだけど、ここでしか会えなかった人たちに会えて 自分のことも少しずつ分かるようになってきて、何も後悔してないんだよね。

偏差値が低くたって素敵な人間は素敵なんだよっていう当たり前のことをおばあちゃんや父親に伝えたいけど、未だに上手く言葉にできないよ。

 

誰も悪気があって言っているわけじゃないのは分かるんだけど、“もったいない”と言われるたびに傷ついちゃうんだ

もったいないわたしは生きる価値ないじゃないか。

 

周りの意見に惑わされないつよいこころを手に入れたい

 

 

ps.また膀胱炎になりました、冬なのに。

 

おやすみなさいませ

じゅうろくさい

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今日は嫌な怖い夢を見て、泣き叫んで起きた。ばぁばが背中さすってくれて落ち着いた。。5時半に1回起きたのに、やることなくて二度寝したのがダメだったな〜

 

何も考えなくていい時間は楽。常に考え事が頭の中で飽和状態だから、何も考えないでいられるのは眠ってる間くらいしかなくて だからとにかく眠りたいし、嫌なことを一瞬でも忘れられる快楽を覚えてからは誰かと一緒に寝てる時間が唯一安心できる自分の居場所だと思ってた。

高校の頃一番仲良かった友達(本人にはショックだった事も伝えて和解済み)に、ツイッターの裏アカウントで「あの子は本当に好きで付き合ってるんじゃなくて、セックスしたいだけにしか見えない」って言われたのがずっと忘れられなくて、それを見た時は そんなことない!って傷ついたけど、きっと気づいてなかっただけで当時は本当にそうだったんだろうな。

調布駅の交差点飛び出そうとしたり 階段わざと転げ落ちたり 土砂降りの中河川敷で泣き喚いたり、とにかく生きるために16歳の私は心配されることに必死だったよね。。学校もやめずによく頑張ったよ、頑張った頑張った偉い

 

最近自分がつらい原因を父親のせいとか人のせいにするのをやめようと頑張ることをやめたら楽になってきた

 

だって、“今”だけ考えれば 幸せじゃないことなんてないんだもん〜

ともは嫌なこと考えないで、大好きな人といっしょに生きたいよ〜

この怪我が新しいスタートだったし、おばあちゃんちに住み始められたし、お母さんや弟や彼氏や友達の存在のありがたさを改めて感じられました!と、全部ポジティブに捉えたい

 

そういえば家の中なら松葉杖もつかずに歩けるようになりました、嬉しいね〜