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ジェットコースターロリポップ

にじゅっさい イロイロ

人間めっちゃ怖いから毎日気合い入れないと外出れないし大人数の飲み会は怖い

ちんともだよ

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小さい頃、ママと一緒に市役所とか銀行に行った時 難しそうな書類を書いてるの見て、大人になったらともかにもこの難しそうな書類の意味が分かるようになるのかなって将来のことすごく不安に思ってた。

でも気づいたら1人で不動産屋の契約にも行けるし住民票も取りに行けるしクレジットカードも作れるし、携帯ショップのお姉さんの言ってることも理解できるようになってたよ。

 

あと 幼稚園の時に、仲良かった友達がスカート履いてくるかズボン履いてくるかが気になって気になって、同じじゃないとどうしても嫌で泣きじゃくって、幼稚園のバス来ちゃう時間が近づいてて、結局その日の服を決められなくて幼稚園休んだことが何回もある。ママはいつもたくさん叱ったけどその後抱きしめてくれたんだよ。最初からぎゅうっーとしてよね。

 

こう、冷静に文章におこしてると、わたしは子どもの頃の記憶に固執しすぎてるんだなあっていうのが面白いくらい分かる。意識して初めて気づいたんだけど、1日に何回も何回もこどもの頃の記憶思い出してぼうっと考えてる。みんなもそうなの?

 

中学生くらいまでは、人と違うことが悪いこと、怖いこと、嫌われることだと思ってたから なるべく目立たないようにとにかく周りに合わせるのに必死で、自分が何だか全く分かんなかった。自分の本当に好きなものが何なのかも分かんなかった。

高校生になって16歳過ぎたくらいから今度は自分の中で渦巻く感情の我慢がついに出来なくなっちゃって、いつもギリギリの状態で生きてた。表面張力でなんとか保ってるコップ。すぐこぼれるからいつもみんなの前で普通を演じるのに必死だった。身体は大人になってくのに、愛されたいって欲求が太り過ぎて心だけ子どもに逆戻りしてくみたいな感覚。だから恋愛がうまくいった試しは無いし、正直寂しいから誰でも良かったし、人間関係もうまくつくれなかったよ。その代わり、だんだん自分の言葉を表現することができるようになって 好きなものと好きじゃないものが分かるようになってきたから、昔よりはともがともであることに疑問を抱かなくなったし、今仲良くしてくれてる人たちはありのままに近いとものことを認めてくれてる人たちなんじゃないかなって勝手に思ってる。わがままじゃないの、ずっと押さえつけてたものが今になって全部溢れちゃってるだけ、それがわがままなのかな、わかんないよ 誰か教えてほしいよ

 

“普通”は“没個性的”とは違う。“没個性”が今は一番怖い、自分が自分だと分かった時に 今度はそれを誰かに否定されるのが怖くなった。自信を持って私は私だと言える日はいつ来るのかな

ともは“普通”になりたかったんだよ。今より少しでいいから物事を楽観的に考えられたりとか人の目を気にせずに生きれたりとか、ビクビクしないで人と話ができたりとか、虚勢を張らなくても大丈夫なようになりたいとか。そういうこと

 

愛されたい認められたい許してほしい

街で赤ちゃんを見ると、心から羨ましいなって思っちゃう。赤ちゃんになってみんなから可愛がられたい、育ち直したい、愛してほしんだー

自分の悲しいこどもをずっと捨てられないままハタチを過ぎて。こども時代を思い出すのをやめれば少しは楽になれるってことも分かってるんだけど、本当に分かってるんだけど、難しいよー。

今が成長過程だから、一緒に生きてくれる人がいるから、なるべく悲しませたくないよ。愛していたいよ。5年後は落ち着いて暮らせるようになっていたいなぁ