最近おもうこと

 

 

働きたいとおもう。

働きたいというか、社会の歯車になりたい。

 

子育てしているから一応社会の歯車なのだろうか?

 

子育てを社会貢献だというのは、未来の資源を育てているからじゃないの。

人を資源とか言わないでほしい。いや、誰も言ってはないかもしれないけど。

 

べつにわたしは日本のために子ども産んだわけではないし、働くにしてもお国を元気にするために働きたいわけではない。

 

ただ、社会の一員だという実感を持ちたい。

 

でも普通に働く自信がない。普通の働き方じゃなくても一定の継続が本当に難しい。

気分の波があるから。

そんなん気合いでどうにかなるだろと自分のケツを叩き続けていた過去があるからこそ、もうできない。

これは本当に気持ちの問題でどうにかなるものではないらしい。

 

なにも原因がないのに突然5日間気分が落ち込んだりするんだから、働けないと思っちゃうよ。

 

楽しいことだけして生きていけばいいと思いつつも、それだけじゃなんか味がない。

生活に張り合いを持たせたい。

 

べつに怠けてるわけじゃないんだけど、こうやって文章にしてみると言い訳ばかりしてる人に見える気がしてきた。

違うのよ、すごく働くの好きなのよ、接客とかね、人と話すのが好きなのよ。

 

例えばすごく内向的な性格だったら自分1人でやる仕事を選べばいいとおもう。

私は、人と話したいのに話すとすごく疲れる、でも人が好き、って感じで自分にできることがわからない。

 

書いてて気づいたけど、とにかく私は人と関わりたいらしい。

人と話したり笑ったりすると楽しいからね。

 

でも、それが突然できなくなる期間が来る。何の理由もなしに。

元気がなくなる前に何かきっかけはあるのかもしれないけど、それは自分のコントロールできないところで勝手に動いている。

 

何かしたい気持ちが脳みそのなかで暴れてる。

静かにしてほしい。

 

 

つかれた

 

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この間あじさいをみました

 

お花、全然詳しくないけど昔からずっと好きだな

しずかでいいな

 

わたしもこういう、

「しずかに咲いてます(崇高)」

みたいな人間になりたかった

 

 

 

 

疲れて疲れて疲れてしまったので、疲れたの日記

 

 

 

2017年のメモ一部

 

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2018年


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2019年


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2020年


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今までたくさんがんばった

わたしのなかの精一杯の力を使って生きてきた

 


いっぱいがんばったから、それを無駄にしたくなくて、人生まるごとさらけだしてみたかったの

 


わたしの人生はわたしだけのものだけど、ひとりでがんばり続けるのは寂しくて、誰かに知っててほしい みててほしい
もししんどい人がいたら、一緒にがんばって生きようよって、いいたかった

 


でももう疲れちゃったかも

いや、むしろ、ずっと疲れていたのかもしれない

 


ほんとは静かにひっそり暮らしているほうがあってるかもしれない
心にいいかもしれない

 

 


がんばりたくない
がんばるの向いてない


がまんするの向いてない


人に見られるの向いてない

 

 


人はすごく怖いし、
もう疲れちゃった

 

 

 

でもなにかしたい

 

 

 


どうやって生きればいいか、検討もつかない


検討がついていたはずのことまで全部わからなくなってしまった

 

 

 


ただわたしは、健康に生きてゆきたい
過剰に怒ったり悲しんだりせずに、すこやかに生きたい

 

 

 

 

どうしたらそれが実現するのかわからない

いろんなプレッシャーにやられてうまく生きられない

 

人の言葉や行動に過敏に反応しすぎてつらい

 

 

 

ただキッキの成長をゆっくり見守りながら、好きなことして生きていきたい

 

毎日なんにもなくていいから、平穏な気持ちを保ちたい

 

 

過剰に怒ったり悲しんだりして泣くことをやめたい

泣くなら正当な理由で泣きたい

 

「泣く」ことの正当な理由ってなんだろう

 

わかんないけど、とにかく何事かに過剰反応して「キーーーーーッ」となるのをずっとやめたい

わたし病気なの?

 

自分のこと病気じゃないって思っちゃうところあるよ

 

 

 

 

人に傷つくのをやめたい

 

愛する人としずかに暮らしたい

 

でもそんなおだやかさに耐えられるのでしょうか

それも自信がない

 

 

 

 

言っていいわがままと、言っちゃだめなわがままがあるような気がするけど、これはどっち

 

もう、つかれたんだよね

 

 

 

 

 

人の心の中って難しい。それから、焦ってトイレットペーパーを買いに行っている人たちはもっと思考力と情報収集能力を鍛えてほしい

先に述べておきたいのは、今から書く文章は決して不幸自慢のようなものではないということです。

幸せな家庭で育った人=想像力が乏しい

という方程式が私の中にはいつからかずっとあって、たしかにいわゆる平凡な家庭で育ってきた人からの心ない言葉(と私には思えてしまう発言、相手は一切悪気無し)に傷つけられたことが何度もあるし、いわゆる少し恵まれない家庭で育った人にこの方程式のことを話すと、共感してもらえることが多かった。

 

ここ数年の私はすごく自分を良くしたくて、良くするために毎日を少しずつがんばろうと思っていて(「良くしたい」っていうのは「人生において気持ちの良くないことをなるべく無くしたい」という意味なんだけど)私が私を良くするために毎日を過ごす中でふと、過去の私によく似た“良くない部分”を持っている人と出会うと、どうしてもそちら側のネガティブに引っ張られてしまいそうになる。気持ちの良くないことのはずなのに、なぜかグッと引き込まれてしまいそうになる。ネガティブな感情というのは誘惑だ。

だめだなあだめだなあつらいつらい、と文句を垂れながら生きるのは案外ラク。なぜなら思考しなくていいから。考える力があれば必ず人はネガティブから抜け出せるけど、そこに辿り着くまでが簡単じゃない。あるいは「自分は抜け出そうと一生懸命努力している、なのに抜け出せない。どうして?こんなに頑張ってるのにかわいそう」という悩みに陥ることがある。一見これは思考しているように見えるけれど、状況を変えようと行動にうつすところまで達せていない場合が殆どなので、結局ただ「どうしようどうしよう」とあたふたしているだけで、“思考している気”になっているだけである。自分自身はその瞬間、本気で悩んでいて且つ十分思考していると思っているから、一番厄介だ。とにかくかわいそうな自分で居続けることは本当にラク。その瞬間は心から「死にたい」と思っていてつらくてたまらないんだけど、ラクなの。だってお薬飲んだり泣いたり怒ったりして狂人めいた行動を取っていれば、誰かがきっと心配してくれるんだもの。そういう心配してくれる他人に甘えていられることがラク、という意味。

ラクなんだけど、やっぱりどこかがすごく気持ち悪いのよ。ずーっとなんか気持ち悪いの。あー、なんかやだな、気持ち悪いなって感じ続けて、またつらいつらいのループに入る。永遠にそこから抜け出せない、なんかラクだから。

たとえば「誰か(親・恋人・友人など)にされて嫌だったこと」とか「○○のせいだ」とか、他罰的に物事を捉えるのってすごくラク。自分のことを責めているように見せて、実は他人や環境とか、自分の外側を責めていることってよくある。これってラクだけどなんか気持ち悪い、ずっと気持ち悪い。

その気持ち悪さをちゃんと自覚した人間が次のレベルに進めるんだろうなっていうのはここ数ヶ月?1年?2年?くらいでだんだん気づき始めた。ドラクエみたいにぽんぽんぽんぽんレベル上がっていかないから人生はめちゃくちゃ大変。しかも他人から“レベル”とか言われてもあんまりしっくり来ない。むしろ「何言ってんのこいつ」になる。わりと100%くらいの確率で。

 

何歳の頃からかもはや忘れたけど“生きてる意味”とか本気でまじめに考えて「産まれてきたくなかったな」なんて思いつめてた時期が人生の大半なんだけど、“産まれてきたからには過去の悲しみに囚われてたらもったいない”っていう綺麗事が、今なら理解できるようになってしまった。

他人にね、「今を大事にしなさい」とか言われたらマジでムカつくよ。ほんとに、目ん玉つぶしたくなるよ。お前が私の人生生きてからそれを言え、って思う。

 

だから「過去に囚われてたらもったいない」は誰も他者に向けて言ってはいけないし、自分が自分に向けてしか使っちゃいけない言葉です。

 

つらいつらいの最中にいる人が、その言葉を他人に言われたところで「お前に何がわかる」で脳みそ埋め尽くされてしまうので。

「過去に囚われたくない」と心から思って悩んでいるのは、誰でもない本人ですから。つらいつらいの最中にいる人には、かけてあげる言葉なんて無くていい。もしその人が大切で何かしてあげたいのなら、ただそばにいて、なるべくその人が楽しくなりそうなことを一緒にやればいい。それだけで生きる力になります。

そのくらいの想像力を持っていてなおかつ幸せな家庭で育った人間が増えれば、世界はもう少し平和になるんじゃないかしら、と思ったりしたので、深夜にダラダラ文章を書いてみました。

もっとわかりやすく伝えたいのに、難しい。共感した、とかここはこう思った、などの感想をTwitterのDMからでもなんでも伝えてくれる人がいたら超嬉しい。

コロナのせいで会いたい人間に会えず、人とコミュニケーションを取れなくて、本当に本当にさみしい。いつだって言葉のコミュニケーションしたいのに涙

「日本の男女格差とフェミニズム」について大学の自由テーマのレポート課題書いたので載せます

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日本の男女格差とフェミニズム

 

 

序章 「ジェンダー・ギャップ指数」から見る問題点


 2019年12月17日に世界経済フォーラムによって、19年の「ジェンダー・ギャップ指数」(the Global Gender Gap Report)が発表された[1]。日本は2018年の110位からさらに順位を下げ、153カ国中121位となっている。
 「ジェンダー・ギャップ指数」とは、経済、教育、健康、政治の4つの分野のデータから作成され、0が完全不平等、1が完全平等を意味している[2]。
 日本の「ジェンダー・ギャップ指数」で特に低い評価を受けたのが、政治と経済の分野である。政治分野では0.049で144位、経済分野では0.598で115位となっている。その2つと比較すると、教育分野は0.983、健康分野は0.979と1に近い指数だが、世界的に見てこの2つの分野は男女格差が少なくなっているため、順位は91位と40位という結果にとどまっている[3]。日本の総合評価121位は、G7参加国の中で最下位である。
 現在の日本では、政治活動において国会における女性議員の割合が著しく低く、企業でも幹部は男性であることが多い。教育においても初等教育での格差はほとんど無いが、大学進学率は男性が56パーセント、女性が44パーセントとなっており、大学院修士課程の入学者では男性70パーセント、女性30パーセントと格差が大きい。科学、技術、工学、数学といった理系分野を専攻する女性の少なさにも注目すべきである[4]。
 筆者は、男女格差を無くすために、女性の政治と経済、高等教育への参加を推し進めるべきだと考えている。そのためには現在の日本でどういった取り組みが行われるべきだろうか。
 

 

第1章 女性の社会参加


 女性の政治や経済などへの参加率が低い原因として、家庭、学校、企業、政府の責任が挙げられる[5]。具体的には、家庭や学校で「女性らしく」、「女性は男性を支えるべき」といった日本の古くからの思想を無意識に刷り込まれることや、男女で同じ大学を卒業しているにも関わらず、就職後の研修に差があり昇進・昇級のスピードが違うという事例がある。また、配偶者の扶養からはずれ、自ら健康保険や厚生年金の保険料を支払うことになる「130万円の壁」など、女性の働き方を抑制させるような税制も政府は放置したままである。
 しかし、女性の立場を考えた政治活動を行うことのできる男性政治家が少ないため、男女格差は埋まるどころか、「ジェンダー・ギャップ指数」の順位が毎年下がり続けているという現状がある。
 たしかに男性と女性では身体のつくりが違うため体力面でも差があり、女性の生涯には妊娠・出産といった大きな変化もある。過去に女性の社会参加を阻んでいた大きな要因のひとつが妊娠・出産・育児である。現在の日本では産休・育休制度が以前に比べて整ってきてはいるが、マタニティハラスメントなどによって退職せざるを得ない女性もまだ多くいる[6]。厚生労働省はそういった生物学上の違いによるハラスメントを無くすためにハラスメント対策に関する通達[7]を出しているが、「女性は家を守り、働く男性を支えるべき」という考え方が根強く残っている日本において、個人が意識を変え社会全体が差別に気づかなくては、根本的な解決には至らないだろう。
 


第2章 北欧諸国の男女平等実現


 19年の「ジェンダー・ギャップ指数」では、1位がアイスランド、2位がノルウェー、3位がフィンランドと北欧の3か国が上位を占めている。教育と健康の分野の値では日本と大きな差は無いが、政治と経済の分野において非常に高い評価を受けている。
 北欧で男女格差が無い理由として、男性だから、女性だからという理由で「職につけない」という不平等がないことや、“専業主婦”という存在がめずらしくなっており、女性の経済的な自立や税金を払う義務と権利が、社会で当たり前のものとして認識されていることが挙げられる[8]。

 男女平等を推進している各国では、幼い頃から性別で将来の夢を決めないように促すことや、コンビニに成人向け雑誌を置かないこと、男性の育児休暇を充実させることなど、様々な工夫がされている[9]。
 コンビニに成人向け雑誌を置かない意図は、男女平等で障壁となってくる「女性を性の対象として見ることで仕事ができないと決めつける」という意識の刷り込みを無くすためである。また、「ジェンダー・ギャップ指数」世界4位のスウェーデンでは、育児休暇が父母合わせて約16ヵ月あり「育児は女性に任せておけばいい」という社会の目も存在しない[10]。
 これらの工夫が行われている背景には、男女格差を無くそうという北欧の人々の個人の意識と社会のつよい意思があると考えられる。
 日本では専業主婦世帯が1980年には約1100万世帯であったが、2018年には約600万世帯まで減っている。それに反して共働き世帯は1980年に約600万世帯であることに対し、2018年には1219万世帯となっている[11]。
 働く女性が増えているにも関わらず日本の男女格差が無くならない原因として、女性が男性に庇護される立場に甘んじているということも少なからずあるだろう。「家事を行えば男性が働いて養ってくれる」という考え方が日本人の意識の中に残っていることは否めない。第2章で前述した「130万円の壁」も「結婚した女性が夫の扶養から外れないために非正規雇用で働くこと」を促進する原因となっている。
 


第3章 「フェミニズム」の捉え方


 女性の自立心を促す教育が、今後の日本で最も重要視されるべき事項である。現在の男女格差を無くすためには、国民の意識改革から始めなければいけないことは第2章、第3章から明らかである。
 「フェミニズム」という言葉があるが、これは本来「女性の社会的・政治的・法律的・性的な自己決定権を主張し、性差別からの解放と両性の平等とを目指す思想・運動。女性解放思想。女権拡張論」[12]という意味がある。
 しかし現在「フェミニスト」という言葉がSNSなどで一人歩きしており、「女尊男卑」のような考え方を主張している者もいる。そういった所謂“過激派フェミ”といわれる人々の影響で「フェミニズム」が本来の意味から遠のいているように筆者は感じている。
 女性が政治に参加することで、男性政治家とは違った視点からの意見や、社会的弱者に寄り添った政治が行われることが期待される。より良い社会にしていくために、「フェミニズム」は現代の日本人にとって改めて大切にすべき考え方であり、再度その意味を捉え直す必要がある。
 


終章 日本の男女格差を無くすために


 「ジェンダー・ギャップ指数」を見ることで、日本の男女格差が非常に深刻なものであり、世界(特に北欧諸国)に遅れをとっていることが分かった。男女格差は社会全体の問題であり、社会全体の問題は個人の意識を変えなければ改善することは無い。
 個人の意識改革を進めるためにも、世界の社会制度や日本の問題点に関心を持ち視野を広くするための教育を、初等教育や家庭教育など早い段階から行うべきだろう。
 日本人の政治への無関心はたびたび問題とされることが多いが[13]、社会問題や政治に関心を持つことが男女格差を無くすための第一歩だと考える。個人が男女格差の問題点について意識し、それを次の世代へ繋げることが、現代の日本を生きている若者の使命である。

 

 

引用文献


[1] JOICFP「2019年『ジェンダー・ギャップ指数』日本が110位から121位へ(153カ国中)」,2019年12月19日更新,https://www.joicfp.or.jp/jpn/2019/12/19/44893/ ,(最終閲覧日:2019年12月24日)
[2] 内閣府「『共同参画』2019年1月号」,2019年2月15日更新,http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2018/201901/201901_04.html ,(最終閲覧日:2019年12月24日)
[3] JOICEP,前掲
[4] 朝日新聞デジタル「教育の男女格差、原因は?」,2019年2月18日更新,https://www.asahi.com/articles/ASM2F56BTM2FUTIL03Z.html ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[5] 同上
[6] 厚生労働省「『妊娠したから解雇』は違反です」,2020年1月10日更新,https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000088308.html ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[7] 厚生労働省「職場における妊娠・出産・育児休業・介護休業等に関するハラスメント対策やセクシュアルハラスメント対策は事業主の義務です!!」,2018年6月19日更新,https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/0000137179.pdf ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[8] HRpro「世界男女平等ランキング、北欧諸国が軒並みトップ入りする理由」,2014年11月29日,https://www.hrpro.co.jp/agora/1751 ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[9] DearB「アイスランドフィンランドノルウェー北欧が男女平等実現のために実践してる事」,2016年12月27日更新,https://english.cheerup.jp/article/4360 ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[10] 同上
[11] 独立行政法人 労働政策研究・研修機構「図12 専業主婦世帯と共働き世帯」,2019年6月10日更新,https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0212.html ,(最終閲覧日:2020年1月10日)
[12] 広辞苑第七版
[13] co-media「ドイツと日本の若者の間に見る、政治的関心の差。その根本的理由とは・・?」,2020年1月10日更新,https://www.co-media.jp/article/20282 ,(最終閲覧日:2020年1月10日)

物件探しとおっぱい

12月22日(日)

10時半からベルナデッタ(母)と不動産屋。5年ぶりに父と別居するので、新しい部屋を探しに行った。弟と、犬、猫も連れていく。

わたしの子育てに父は参加してほしくない。まだおなかにいる彼or彼女にはわたしのような、大人に気をつかう悲しい子どもになってほしくないので。

ちなみに、父にはまだ別居することも話していないけど部屋はもう今日決めてしまった。

わたしと母に、いざという時の行動力があるのは昔からのことだ。普段は腰が重いが、やろうと決めたらすぐにやる。いいところだと思う。なんでも、やったもん勝ちだ。

不動産屋の担当の人は、すごくどもってて、営業向きじゃないなあと思った。でも仕事をちゃんとこなして偉い。きっと自分でも吃音のことを気にしているんだろうな。

5年ぶりといっても、わたし自身は高校を卒業してからひとり暮らしをしてみたり、祖父母家に住んだり、その時々でつきあっている彼氏の家を転々としていたので、実質父といっしょに暮らしたのは婚約破棄されて実家に戻ったこの2〜3ヶ月ほどだけだ。それでもう無理ってなるのだから、やっぱり無理なのだ。どうにかして縁を切りたい。薄情な娘だと言われても、わたしとわたしの子どもの精神面のほうが大事である。

なぜ父が嫌かって、それはもう数え切れないほど理由はあるけれど、いちばん分かりやすい例を挙げるなら「地元のスーパーで有名なクレーマーだから」だ。恥ずかしくていっしょに外なんて歩けない。いっしょに外を歩いてなくても、同じ犬を散歩してたら家族だとバレる。あんなキチガイの娘だと思われたくない。

わたしのことをキチガイと言ってきた人間も過去にいるので、わたしも誰かから見ればキチガイなのかもしれないけど、とにかくあの父のキチガイレベルは半端ない。わたしでも引く、恥ずかしいと思うほどのキチガイなんです。彼には全く自覚がないらしいから怖い。ほんとうにもう、もう耐えられない。23年間、どうにか親だと認めようと思ったけど、無理だ。血の繋がりは認める。顔も似てるし。でももういっしょに暮らしたり、にこにこ話したりするのは、イヤだ。わたしは充分がんばった。蛙の子は蛙ではないと言いたい。

そのあと、大学で卒業論文口述試験があったので行った。担当教授は優しい。全然まともなこと述べられてないと思うけど気持ちよく終わった。

あとは1月にいくつか残ってる単位のテストをクリアすれば卒業できる。

 

たまに店番のお手伝いしてる下北沢の骨董品屋に久しぶりに顔を出した。店長のイくんは韓国人。日本語がすごく上手。優しいけど、本心のわからないひとだなあとずっと思ってる。ここに関してはわたしの勘ぐり深すぎる性格のせいだと思う。社長には内緒ね、と言って妊娠祝いにわたしが気に入ったセリーヌの財布(中古)をくれた。4800円。得したなあ。イエスキリストの可愛いカードを買って、ちょこっとメッセージを書いて、カレー屋のほうの社長のプレゼントに入れて持って行った。バイトの掛け持ちなんて少し前じゃ考えられなかったけど(すぐ疲れちゃうので)、今のところはみんないいひとたちなので楽しい。人の気持ちがわかるひとたち。わたしが傷つかないで働ける環境っていうのはすごい。誰も、誰かの悪口を言ったりしない。

夜は、不動産の内見中に車の中からとんかつ屋の看板が見えるたびに「とんかつ食べたい」と言っていたわたしのために、母がとんかつを作ってくれた。美味しい。えらそうだけど、母の料理の腕はここ数年であがったと思う。昔はあまり美味しいと感じなかった。

25日のクリスマスは、弟の18歳の誕生日なのでわたしが夜ご飯をつくる。なにをつくろうか楽しみ。

夜中、お風呂に入って鏡を見て、ほんとうにおっぱいが小ちゃいな(というか無い)と思ったんだけど、それよりおなかの大きくなるのが早くてすごい。絶対になにか入っているおなか。

さて、こんな小ちゃいわたしのおっぱいから母乳がピューっと出るのかな。妊娠すると大きくなると聞いてたけど、雀の涙ほどですよ。ちょっっ…とだけ大きくなったかもしれないけど、多分みんなが街中で上半身裸で歩いててもわたしより小ちゃいひとを見つけるの難しい。もし、母乳が出にくかったとしてもあんまり悲観しないでミルクで育てよう。母乳がいちばん!母乳で育てるべき!と意固地になっているママたちの気持ちは、まだ子どもを産んでいないわたしには理解できないのだけど、とにかく、わたしはわたしのおっぱいに、期待しちゃいけない。ひとはひと、わたしはわたし。

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人体のふしぎ

妊娠がわかってからというもの、とにかく男が気持ち悪くて仕方ない。

父親になる男に対しての嫌悪は一切無いけれど、街、電車、大学、そこらじゅうですれ違う男どもが気持ち悪くて仕方ない。老若問わず、おそらく精通を迎えたであろう歳を超えている男といういきものすべてが気持ち悪い。服の裾が触れ合うのすら耐えられない。

これが雌の防衛本能だろうか。

つい数ヶ月前まで誰彼構わず笑顔を振り撒いていたはずなのに、女のからだというものはうまくできている。

その点、男は一生を通して自分のからだの変化をここまで感じることが無いのだから、人体の不思議を経験できずに死んでゆくなんて可哀想だ。

こんな不思議を経験できるのなら、女に生まれてよかった。

女同士のコミュニケーションだってなんとかとらなくちゃいけない。女はそういうふうにできているのだから

二重埋没法豊胸手術輪郭整形

起き抜けに白湯を飲んだ。わたしはダイエッターだから。

たとえば、体重があと5kg軽くて、おっぱいがCカップくらいあって、両目二重で、顎がシュッとしていたら、きっとわたしの人生は違ったかもしれないとか思う。

でもそれって、努力で全てどうにかなることに気づいてしまった。

体重は食事制限などで痩せればいいだけだし、目も、顎も、お金を稼いで整形して自分好みにすればいいんだよね。自分のための自分のからだ、どう使おうと他人に関係ないんだよ。

ただ、やっぱりどこかで周りの目を気にしていたりとか、将来生まれた子どもがブスだったらどうしようとか、ナチュラル志向でいたい気持ちとか、そういうのが頭のなかで飽和状態になっている。

言い訳ばっかりしてやらないのは簡単だよ。

保守的になるのは簡単だよ。

生きる意味、生きる意味ってなに、とか言って人生どん詰まってんだったら、とりあえず自分を自分好みにすることから始めてみたらいいんじゃないかしらね。

常に視野を広く持っていたいのに、それってとっても難しいよ。